熱くなることを忘れた大人たちへ 大きさの幻想に惑わされるな!!

熱くなることを忘れた大人たちへ 大きさの幻想に惑わされるな!!

目次

私たちが惑わされる「大きさ」の幻想

今日の文章は

『なんか、くすぶっているな、自分。』

という方に向けた文章です。

それ以外の方は時間がもったいないので読まなくて大丈夫。

大切な時間を割いて読んでくれたらすごくうれしい。

今日も沢山の出会いがあるなかで印象に残ったこと。

私たちは「大きさ」の幻想に惑わされている。

ということ。

あなたは大きな夢を描くことができていますか?

その青写真は人と協力して描く未来ですか?

そこに日本や、世界や、宇宙は協力していますか?

あなたの夢は日本を、世界を、宇宙を無視していない夢ですか?

あなたのなかの夢が、日本とも、世界とも、宇宙とも、関係があると言い切れるなら

あなたの夢は全てから応援されます。

「大きさ」の大事さ

「なんだか、大きい話だなぁと思って」

そんな話をしたとき、

彼の口からそんな言葉がでた。

おいおい、ちょっと待ちなさい、と突っ込んでみた。

大人になることとは、大きさを知ることでもあると感じる。

自分の中で大きかったものが、

社会というもっと大きなものと出会い

自分よりも大きいと知る。

社会に出れば

いつのまにか、自分達を維持する(しているように見える)

システムに合わせて生きることを強要される。

大きさに出会うことは無力さを知り、

それが強くなれば現状を変化させることもあきらめが生まれる

一方で自分よりも大きいものを知ることは

謙虚さにもつながる。

それはそれで大事なことでもある。

だけど、そんな『大きさ』の感覚にいつの間にか飼い慣らされている私たちがいることを感じる。

大きさは相対的なもの。

月は人間と比べればすごく大きいけど

太陽と比べれば小さい。

太陽は月と比べれば大きいけど

銀河と比べれば小さい。

大きさは実態ではなく幻。

私たちが作り出した幻想でもある。

自分達が経験する日常の枠でしか

大きさをとらえられなくなる。

そうするとどうなるのか?

自分より大きな、動かないと思うものには心が働かなくなり

日常のちょっとした変化だったり、

感動にも気づきにくくなってしまう。

それは非常にもったいないこと。

あのときは熱くなっていたのに。

熱くなることを忘れたと感じるとき。

そこには『大きさ』の囚われがあるかもしれません。

自分を決める「大きさ」の本質

この話は日常の小さなことを捨てて

大きく生きることがいい

ということを言いたいわけではありません。

大きさの本質を知ることは

究極に小さく、繊細にもなれるのです。

だから、日常の些細なこともどこまでも愛し大切にすることができます。

だけど、あなたの中に眠るエネルギーはこんなものじゃない。

壁を外して、心おきなく

そのエネルギーを天まで貫いて未来を創ってほしい。

そう感じます。

大きさの本質を知って、

自由に人生を描きたい方は、

是非、メッセージをください。

セッションメニュー 問い合わせフォーム

tel:080-1301-6374

mail:perspective496@gmail.com

—–Mission-Link—–