熱を置いてきた大人たちへ。調和を取るか我を通すか。

熱を置いてきた大人たちへ。調和を取るか我を通すか。

目次

あなたの人生に熱さはありますか?

以前は熱いものを持っていたのに

人生のなかで削れてきてしまったあなたへ

写真は今日食べたビーフシチュー。

なまらうまい。

人生という荒波に揉まれていると

ゴツゴツした石もだんだんと角が取れて丸くなっていくように

貫き通していた大切なものも

手放さないといけない場面があるかもしれません。

若いうちは自分の信念や大事なものに

突き動かされていた人も

経験が進んでいくと

だんだんと組織や人とのなかで

『自分』というものが見えてきます。

そうやって意固地になっている自分をみながら

「これで大丈夫だったのかな」なんて。

自分の信念に揺らぎも見えてくるかもしれません。

調和を取るか、我を通すか

調和を取るか

我を通すか

これは非常に難しい問題です。

熱は何かを産み出す力ですから

それが削がれることは

やる気とかモチベーションにもつながっていきかねません。

そして、そういった熱が強い方は往々にして切れ味のよい判断をもっています。

そして、その判断の矛先が

自らに向けば、その熱に焼かれたりします。

『こうしたい』

いきすぎれば

『こうしなければいけない』

そんな強い『想い』は諸刃の剣にもなって、

そうなれない自分を時に傷つけます。

そんな強い『想い』が外に向けば回りを傷つけることにも。

そうすると回りとの関係性が悪くなったりしますから

その職場には居心地が悪くなったり。

環境を変えれば一時的には変化が起きますが、

この構造はまるで影のように付きまとうんです。

結論は

異端者として調和しない道を選ぶか

調和という名の去勢をするか

ということ。

二つに共通する課題とは?

この二つの選択肢

本質的に同じであることがわかりますか?

調和しない道を選ぶのも格好がいいようですが、

一言で言えば、チームプレーにあきらめがあるんです。

自分の中のものを周りと循環させられないあきらめ。

わたしはどちらの涙もわかります。

両者とも自分の中の大切なものものを循環させられないというあきらめがあるんです。

ここまで、この文章をうなずきながら読めた方は

自分が日々、

自分のみている世界、自分の世界にいる存在と

何を循環させているのかを考えてみてください。

人生の質は循環の質で決定されます。

すべてと循環できる道が見えたとき

自分の中の熱、

相手の中にある熱を相互作用させながら、

全力で世界にプレゼントできる人生になりますよ。

本日もお読みいただきありがとうございました。

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