AIに閉ざされた世界、ネットに閉ざされた世界、脳に閉ざされた世界

AIに閉ざされた世界、ネットに閉ざされた世界、脳に閉ざされた世界

今日はたまたまTwitterで見つけた投稿があり、

非常に面白い内容でしたのでテーマに記事を書いてみたいと思います。

(投稿元の武内さんとは一度お話する機会を頂いたことがありますが

かな~り面白い方ですので是非フォローしてみてください!)

最近話題のチャットAIのChatGPTに架空のキーワードを質問した結果、

その存在しない概念を存在する前提で回答をしていたということで

ちょっと考えると少し怖いことでもあるな~と感じています。

今話題のChatGPTはビッグデータにより驚異的な進化スピードをしており、

こういった何かの知識を訪ねたり

何かのプログラムを出力するためのコードを訪ねることができたりと

ある意味でこれからはブラウザで検索ではなく

AIに質問することが情報の取得手段としてメジャーになっていくかもしれません。

そのように考えると今の僕の人間的な感覚で言うと

ChatGPTのほうがインターネット空間よりは

狭い空間の中のように感じ

その狭い空間で提示された情報に従って人が生きるようになることは

AIの中に人間が閉ざされているように感じ

非常に窮屈だなぁと感じるわけです。

しかしそんな問いを持ってよくよく考えると

今のインターネットは開かれた世界を担保しているようにも見えますが

実は世界の一面しか表しておらず

これもGoogleだったらGoogle、TwitterだったらTwitter

FacebookだったらFacebookのフィルターを通した情報でもあるということですね。

そのように思えば実は私たちが当たり前にネットと接続し

何かを検索して外部の脳のように情報を取り扱っていることも

非常に限定された世界の中に閉ざされていると言えるかもしれません。

さらに視野を開いてみれば

実は私たちが見て認識しているこの現実世界も私たちの脳が出力した結果体です。

白内障などを起こし視野が欠損すると

脳が欠損した視野を補おうとして過剰に働いた結果に

幻覚を見せることがあるそうです。(シャルル・ボネ症候群)

またコンピュータゲームの1人称視点で世界を移動するFPSゲームなどは

世界の全てを常に出力しているわけではなく、

プレイヤーの視覚の範囲だけ世界を出力しているとのこと。

量子力学でも観測行為をしたときに粒子の位置が決定されますが

そのように観ると私たちが認識しているこの現実は5感覚情報で入力した情報を

脳が再構成した映像を見ているといえます。

実は私たちが人生を掛けて一度も出たことがない閉ざされた世界は脳であるということができます。

脳から自由になるとはどういうことかは非常に面白いテーマでもありますね。

令和哲学者のノジェスさんは脳と心を明確に定義を分け、

心を「0=∞=1」という数式で言語化しています。

心を感情や考えなど意識の結果物ではなく

全てを生み出す源泉の素材(動き)が心であると定義しており、

全てを生み出す源泉であるならば

生み出した結果物には縛られず、

すべての知から絶対的な大自由であるのが本当の心であるとしています。

この世界観は私たち日本人のDNAには深く刻まれており、

侍たちは脳から自由になるために刀を通して

どんな条件状況にも左右されない精神性を磨いてきました。

刀を手放した日本人が心に刀を取り戻し

脳から出たり入ったりが自由になった時、

これからのAI時代に私たち人類がどんな在り方で生きるのかを考えるヒントになりそうだと感じています。

本日も御読み頂きありがとうございました。

perspective496@gmail.com