すべてと大切に出会う姿勢態度。死を包越する感覚
- 2021.05.03
- 心についての話
これからの時代のリーダーシップを獲得する研修5日目。本日の気づき。
今日は強烈な気づきでした。
タイトルにもあるように死を包越する感覚。
「包越」とは包んで越えていくというイメージ。
昨日の気づきとつながる今日の気づき。
この気づきをアウトプットするのは少し勇気のいることですが書いてみたいと思っています。
釈迦が四苦八苦を唱えたように死苦となる「生老病死」は
人間にとって代表的な苦しみのひとつです。
新しい言語の獲得を通して、
自分が認識する宇宙全てが点のように遠くに遠くに消えていく体験。
今日の講義のなかでは、現象に囚われない、
すごすぎる心の境地がわかった人間としてどうあるのか?
そんな話がありました。
私たちの脳は過去のイメージと今ここをつなげて
自分の意志と関係なく、勝手に考えや感情を生み出します。
その考えから自由になれないのが私たちの共通の課題です。
「脳に負けるか!」
脳が認識する世界の幻想に惑わされず、尊厳そのものであること。
どんな条件の時にもワクワクスッキリの心でいる。
そんな姿勢態度。
技術者としての在り方。
死ぬときというのはすべてが無くなる不安があると思います。
お金を持っていくこともできません。
思い出を持っていくこともできません。
家族や誰かを連れていくこともできません。
何を持っていくことができるのか?
尊厳そのものの心。
彼岸を渡り切り、すべてが実在しないことを分かり、
何物にもとらわれず、大きな、大きな心そのもの。
唯一、体の死の先にも持っていけるのがその姿勢態度。
この一点に曇りなく理解が及んだ時、
人生を通過した先に、自分がどう在りたいのかの方向性が見えました。
死する時に自分がどんな姿勢態度でいるのか。
その方向性に迷いが晴れたとき、
現実の様々な困難さや、僕の感情が動き不安に感じることは、
大きな問題ではないことがよくわかり、心晴れる気持ちになりました。
毎瞬、毎瞬に生まれる考えを制圧する認識の技術。
脳が静かになる心そのもの。
この身体、世界が実在ではないという境地。
この感覚に行くことは、命を軽視するとか、死を軽視するとか、
無謀なことをするとかではありません。
すべてと大切に出会うために、
すべてに囚われず、尊厳そのものである姿勢を貫きたいのです。
そんな人生を一貫する感覚を得ることができたことは本当に嬉しい1日でした。
本日もお読みいただきありがとうございました。
perspective496@gmail.com
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