何かをやらないと価値のない『自分』
ここ最近、様々な人が
どのような環境でどのように反応するのか
という構造を観察することで、発見することが多くあります。
『身体の自分』はある意味で自らが意識によって操作ができるので、
言い換えれば非常に使いやすい道具と例えることができます。
身体というデバイスをどのように活用するのかが、
本当に人それぞれに無意識のパターンがあり、
そのパターンによってその人の描く人生の範囲が決定されていることを感じることが多い最近でした。
何かをやらなくちゃいけないという自分
僕は両親が自営業で、常に働き続ける母のもとで育ちました。
これがなかなかのスーパーウーマンで、
朝6時から起きて家事をし、
日中も仕事をして夜も23時とか24時とかまで仕事をしている。
父親もだいたいそんな感じに動いているのが当たり前でしたので、
働かないとか動かないことはあり得ない世界観が出来ていきました。
『あり得ない』ということは改めて考えると面白いのですが、
無意識にその状態を僕の辞書から抹殺しようとするぐらい、
そのような自分を感じないように行動したり思考を働かせたり、
様々な力が入っておりました。
その恐怖はめっちゃ感じている癖にそれを絶対に見ないようにしている感じです。
いやー、笑えますね。
もし、自分が期待にされる状況にたいして何かを出来ていない状態になってしまったら、
パニックになってしまうぐらいの不安感があることを自覚するようになりました。
すると自分が日常で強烈に行動したり、スケジュールを詰め込む背景に
常に自分ができていない不安感とか恐怖を感じながら動いていることが発覚したのです。
(逆に今ではその構造を逆手に取って無茶も楽しんでやったりします)
どうやら自分には
『何かをやらない=価値がない自分』
という方程式が成り立っていたのです!笑
このような無意識の基準の意味するところが、人それぞれ微妙に文脈が違うので意識化されにくいのですが、
昨日の夜にミーティングをした個人事業主の方も
ここ最近、お仕事で忙しくしてしまう現状を
『だって、仕事なんだからやらないなんてあり得ないじゃないですか❗』
と、お話されており、
その背景にたいして質問をしたところ
その背景には『やらないと最低な自分だと思う』という大前提が潜んでいることが発覚しました。
つまりやれていないような場面を見るたびに罪悪感を蓄積する大前提を持っているわけです。
こちらから見ればそれだけ頑張っているのだから
罪悪感じゃなくて、肯定感や達成感を蓄積してもいいんじゃない?
と、言いたくなるわけですが、
ご本人のなかでは罪悪感を蓄積する事象として
世界が立ち上がるのです。
強烈な罪悪感や自己否定をはらんだ過去の経験からくるイメージを
環境の条件の変化が起こることで、フラッシュバックするようにその場面を見せ続けられている状態。
車で例えるなら、
常にバックミラーで過去を確認をしながら前に走ろうとしているなんていうことができます。
過去を見続けるのは脳の機能でもあり、本質的に自由になりにくい構造を持っています。
ちなみに僕も含めて、このような『自分が何かをやる』ことにフォーカスがいく人は
人の面倒見はよかったりしますが、
組織のなかでは他の役職との、バランスを加味せず動いたり、
他者との関係の中で自分が何かを貢献できていないシチュエーションがありえないので、
個人プレーや1対1には強かったりしますが、
規模の大きいチームプレーとなると、
やらなくていいアクションをして、かえってそれが邪魔になったり、
人を立てたりすることが難しくなる傾向が出てきます。
その人の持っている関係性のキャパや性質で扱える集団の規模が変化するというのが
様々な経営者さんたちを見ていて感じることです。
これ、今のご自身が現象的に問題がないとお感じになっている方も
自分が外界との関係をどのように作る傾向があるのかは
明らかにされることをお勧めします。
コピーが起きない原因は、
この大前提が大きく異なるからです。
文脈の解除が難しい原因とは
事例として出した何かを『やれている自分』という文脈は、
同じような文脈をもつ人それぞれで見ても微妙に違っています。
違うということはその人の経験で作られた勝手な思い込みであるということを表しています。
必要のないシチュエーションでも常にその目で世界をみるバイアスがかかっているので、
かなーり無自覚に疲れる構造です。
だけど、なかなかそこには気づけず、
自分の無意識に作った文脈を絶対にして、縛られているのが人間です。
この文脈、解除したいですよね。
でも、その解除を困難にする理由があります。
『だってそうじゃん!』
って言いたくなるぐらいその人にとっては強烈な経験が背景にあったりもするし、
消そうとすればするほど
変化しようとすればするほど
その意識の中に閉ざされて固くなってしまい、
変化しようとすればするほど変化ができないのが人間なのです。
何故ならば、強烈に変化が必要な自分を認識するということは
自らをこんなダメな人間だ!とか
杭を打ち付けてしまうことによります。
特に自分という個体に変化の焦点をもつことは、変化をより難しくさせてしまいます。
ここが変化の盲点で、
実は変化させる焦点とアプローチが違ったのです。
実は、無いものを消そうとしても消えません。
この言葉の意味するところを理解することが新しい変化のイメージを獲得することとつながります。
この秘密が気になる方は是非、お会いしたときにお話ししましょう。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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