境界線はどこから生まれ、なぜ敵が生まれるのか
- 2026.01.30
- 徒然
ここ最近、現場での交流のなかで、
かなり強い感情を向けられる経験があった。
怒りのエネルギーを真正面から受けると、
防衛的に力が入り、つい相手を論破したくなる自分が出てくる。
もちろん、自分の立場を守るために
防衛的な対応が必要な場面もある。
ただ、多くの場合は
相手の怒りの背景に何があるのかを理解し、
そのまま受け取ることのほうが、
関係が次の段階に進むチャンスになると感じている。
そんなタイミングで
『なめらかな社会とその敵』(鈴木健 著)を読みながら、
自分の中にある「境界線」というものを
改めて考えさせられている。
相対比較、分断、敵味方。
それらは社会制度や思想の問題だけでなく、
もっと根っこの生命の構造から生まれている、
という視点がこの本では提示されている。
生命は「膜」と「核」という構造をもつ。
膜によって
「内」と「外」を分け
核によって
そのシステム全体を
コントロールしようとする。
この構造そのものが、
境界線を生み
コントロール欲求を生み
比較を生み
敵を生み出す。
本来、膜も核も
「網(ネットワーク)」の一部でしかない。
それでも私たちは、
この生命の機構に強く支配されている。
つまり、
心の中に生まれた敵(境界線)は、
生命のレベルでは制圧できない。
善悪で押さえ込んでも、
正しさで上書きしても、
形を変えて何度でも立ち上がってくる。
『なめらかな社会とその敵』では、
テクノロジーを活用し、
貨幣や民主主義、選挙といった制度をアップグレードすることで、
複雑さを複雑なまま許容する社会の可能性が語られている。
ただ、個人の次元で見ると、
ここで本当に必要なのは
生命の延長線上の努力ではなく、
生命を越えた次元での「精神の開発」なのだと感じる。
自分の「外」を認めれば、
世界はコントロール不能になる。
相手は変わらないし
世界も思い通りにはならない。
では、どうするのか。
すべてを「内」として認識するには
対象と自分を分けるのではなく
一つの画面(ユニット)として認識する必要がある。
この身体の自分と
認識している対象を
映画のスクリーンのように捉える。
すると世界は
「存在の集まり」ではなく
事件の連続として立ち上がってくる。
さらに言えば画面であれば
“ある”ままで”ない”境地に向かう一歩となる。
このとき初めて
出来事を解析する主導権が
自分の側に戻ってくる。
敵を消すのではなく
敵を生む構造そのものから自由になる。
その感覚が
この本の問題意識と
自分がこれまで探究してきた認識のテーマとが
深いところでつながっているように感じられて、とても面白い気づきだった。
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