人が連携するためのカギになる秩序の作り方~歴史的な変遷~

人が連携するためのカギになる秩序の作り方~歴史的な変遷~

今日はNoh Jesuリテラシーマガジンの交流会に参加してきました。
今回はクイズ形式の交流会になっていて
頭がフル回転するような質問がたくさん出てきて
非常に面白い内容でした。
(リテラシーマガジンではメンバー間の交流会も定期的に開催されていて、たくさんの企画が用意されています!)

そんな会の中で今回出たお話として、
グローバルの秩序がどのように作られてきたのかというテーマのお話がありました。

私たちは当たり前のように言葉を使い、
当たり前のように会社に行ったり、
経済活動を行いますよね。

だけど、実はこのプロセスにはたくさんの血が流れた結果、
そして今もたくさんの我慢の涙があってのことだとしたら

ビックリするでしょうか?

このブログでは何度も書いていますが、
私たちは1分1秒も同じ世界を見ている人はいません。

私たちが相手に自分の経験をわかってということは
耳の聞こえない状態で50年間過ごした人に
オーケストラの一員として指揮者にまでなった人が
オーケストラがいかに素晴らしいかを教えるような行為だと例えられます。

私たちは1:1の出会いが実はそのような状態で出会っているのです。
1:1の秩序を作ることは実は不可能な状態。
必ず、どこかで我慢や妥協が生まれるのです。

そうなると家庭の秩序も、企業の秩序も、社会全体の秩序も実は
すべてが不可能であるということが論理的には導かれますよね。

だけど、この世の中は秩序が成り立っているように見えてしまう。
そのようになっている背景には何が働いているのでしょうか。

はじめて人が秩序を作ったのは
暴力によるものでした。
王様の権力によって王以外の観点を認めず、
全ての生産手段は王様の独占状態でした。

それによって我慢をした人々は
商売を通して生産手段を獲得し、
王様を妥当しました。
これがフランス人権宣言であり、

人の違いをまとめる第二の力として、
財力が登場するようになりました。

人がこれだけ違うのであれば、
言葉というのは力を持ちません。

なので、私たちの身体を便利にすることができる
商品を持てる人が力を持つようになるのです。

生産手段となる商品を自ら持てない人は
商品を持つ人に体を売って
自分の時間を犠牲にして生活のための食糧や金銭を得なくてはなりません。

このようにして発達したのが資本主義の社会。
これらのプロセスでは言語が発達し、新しい概念が生まれてきました。
その概念が生まれるためには、そしてそれが共通認識となっていくプロセスには
たくさんの血が流れているのです。

そのようにして作られた秩序の中で
実は私たちは大前提に多くの我慢や涙を強いられています。

これからの時代は日本から新しい秩序の作り方を提案するとき。
その秩序のカギとなるのは『真理』。

人間の尊厳性が最も発揮され、
自らのすべてを律することができ、
全てを自由自在に再解析できる力をもち、
世界をアートの心で見ることができ、
今ここ無条件に幸福感に満ち溢れている。

そんな人間の要素が十分に発揮された状態で
生きる新しい時代の秩序。

そこに貢献するのが世界機軸教育であり、
完全学問であり、英雄産業である。

こんなお話でした。
非常に示唆に富む、とても素敵な時間でした。
是非、ご登録がまだの皆様もご検討いただけたら幸いです。

本日もお読み頂きありがとうございました。

perspective496@gmail.com