身体のリラックスは心の絶対的な安心から。心が力を抜けない仕組とは?
目次
力が入ってしまう無意識の構造とは?
体の緊張と心の緊張の話毎日の仕事をしていて
気づいたらものすごく疲れていたとかそんな経験はありませんか?
こなさなくてはいけないタスクを消化し、終わった後に首とか肩にものすごく力が入っていたとか、
目がものすごく疲れていたとか、
そんなことがある方もいるかもしれません。
疲れの原因というものは身体的なストレス以上に
先に反応している無意識の反射的なプログラムが影響しています。
人間は過去の体験で刻み付けたマイナス的な感情・感情の記憶があり、
そのマイナス的な感覚を昇華させるために何かしらの行動や思考で解消することを蓄積します。
人によってはまず笑顔をすることだったりするかもしれないし、
人によっては望むことを予測して、そこに思考を働かせたり相手のためを思って何かしらの行動をしたり、
様々な条件反射のパターンが産まれます。
これは無意識的な反応なので、ある意味自分の意思とは関係なく起こるのです。
意識的には自分が選択して行動をしているようなのですが、
常にその人の持っている原体験のマイナス感情から逃れるための前提があるために
無意識的な緊張感や恐怖・不安を土台にした表情や言葉がけ、行動を通して、周囲との関係を構築するようになっています。
例えて言うならば車を運転するときにバックミラー(過去)を見ながら、前に進もうとしているようなもので、
どんなに前に進んでも過去が追いかけてくる仕組みになっているのです。
その人にとって最もショックであった原体験を常に見続けながら、
人は頑張るようになっているので、
忙しくなればなるほど、やることが増えれば増えるほど、
無意識的に力が入ってしまう構造になっています。
世代的な価値観から作られる力の入りやすい構造
たまたま僕は見た目の関係上、ちょっと老け気味(30歳)なこともあるのか、
40代や50代の年上の方と接するすることも多いのですが、
特に今は資本主義社会でもあり、40代以降の50代ぐらいの世代の価値観としては
何かしらの経済的な価値を生み出さなければならないという観念は
ある意味で、お互いの信頼感を試すためにも必要な感覚だったりもします。
そういった頑張り方ができるかどうかというのは
ある意味で、世代間共通の信頼を試す指標になるのかなと感じます。
言い方は悪いですが、このわけのわからない世界の中で、
必死に潜り抜けてきた証明が、
この人は裏切らないという信頼の証になるのかもしれません。
しかし同時に、このプレッシャーは非常に強いと感じますし、ある意味動き続ける時にしんどくなってしまう人もいらっしゃるかも。
しかし実はそういった世代の人たちも
だんだんとお金や目標だけのモチベーションで頑張り続けるには
違和感や限界をし始めており、
もっと自由に楽しみたいというような、
心の叫びを聞いているような感覚になることもしばしばあります笑
今の僕は30になりますが今の20代の価値観は生きがいだったり、
いかに社会的に貢献できるかどうかとか、
そういったことが価値の中心になっている印象を受けます。
その感覚自体を求めることに疲れてしまった人は、ただ休みが欲しいとか、欲求を持たないことで生きている人も多いかも知れません。
しかし、奥深くに共通することは、
自分がこの時代に何をなすのか?
どんな人たちとどんな関係を作るのか?
自分たちの中にある可能性を使い切りたい。
そんなニーズがあるように感じています。
これまでの時代は時代や社会が求める価値・基準にいかに自分を変化させられるのか、
ある意味で部品になりきることができることを求められる時代でした。
これは経営者であっても、ある意味で社会の部品であったのではないかと感じるのです。
だからこそ、多くの人が我慢を前提に働く生き方に疑問を感じているのだと思います。
もしかしたら、あなたが疲れている原因は時代の限界の叫びなのかもしれません。
人間の可能性は本来決めつけられないもの。本当のリラックスを獲得するためには。
僕は北海道に来て、自分が住む北海道の価値とは何なのかということをとても考えるようになりました。
よく道外の議員さんや、識者と呼ばれるような人たちは、
北海道の可能性ということを語る時に大抵は食や観光のことをクローズアップし、
そこに目を向けさせるようなことを言う人が多いと勝手に感じています笑
僕はこの考え方はあまり好きではなくて、勝手に可能性を決めつけるなと声を大にして叫びたいと思っています。
半年が冬・雪の中と言うハンディキャップを持ちながら、
それでもこの土地を選択して生きる人たちの意志というものは、
とても価値のあるものだと感じていますし、
コミュニティの繋がりがあるからこそ、大きく変化する時には変わることができる思っています。
このことでお伝えしたかったことは、私たちは無意識に自分の中の思い込みの求められている自分になるために無意識的に力が入ってしまう構造があり、
本来の人間というものは何者にも決めつけられない無限の可能性なのです。
しかし、各々はそれぞれの経験のメガネを通して、現象を見ています。
各々の『こうあらねば』に力が入る時、
実は私たちは同じ世界にいるようで、それぞれの観念の世界に閉じこもっている状態なのです。
だから人は環境の中で世界を認識し、反応している時(世界を目で見たときに反応は始まっています)、
同じ空間にいても同じ空間にはおらず、同じ言葉を聞いても同じ言葉を聞いていないのです。
そこには人と人が分かり合えない構造が潜んでおり、
そのことを無意識的に分かっているからこそ、相手を予測したり、
自分の中で見せられる自分を保つために力が入るのです。
だから本当のリラックスを獲得するためには
環境の負荷を減らすとか温泉やマッサージに行って癒しを得るとか、
条件の変化ではたどり着けません。
本当のリラックスはその人の認識の中に共通した認識土台を待つことで得ることがきます。
いつでもつながれる、ありのままでいられる、疎通することができるという絶対的な安心感がどんな条件でもリラックスする心につながるのです。
もちろん、その上で温泉に行ったりマッサージをしたりヨガをしたりすることは、
さらに効果を倍増させて行きます。
日々の疲れが取れないという方は、自分の中のこうあらねばと言う決めつけを見つめてみると良いかもしれません。
これはかなり奥が深い世界なので、手放すことがよくできているという方も、
さらに手放せる決めつけがあるということを知っていただければと思います。
自分と自分の認識する宇宙をすべてを手放した時、
全ての観念から自由になり、絶対的な安心感を獲得することが可能になります。
変化の激しい時代の中で持続的に動き続けるためには
健康をどのようにデザインしていくのかということは非常に重要なことだと感じています。
こういった健康の話に興味がある方も、是非ご連絡くださいね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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