人の話が聞けない理由と学びの出発点。

人の話が聞けない理由と学びの出発点。

本日研修3日目。

簡単ではありますが本日の気づきを。

今日は受講者の質疑応答から始まり、

テーマになったのが、人は「お前の話なんか聞きたくない!」という現在地にあるということ。

それは世の中が情報に溢れている時代になったこともありますし、

世の中にあふれるのは広告だったり、

人と出会えば自分を利用しようとする人に見えてしまう。

本質的にパンパンな状態にある人の心のうちにある叫びとも言えると思います。

最近流行っている「うっせぇな」という歌の歌詞にも

そのメッセージが溢れていますね。

うちも夫婦で話をするとき、耳が痛いときには話が聞けなくなるときがよくありますw

いかに愛情があっても、なかなか相手の話をそのまま聞くことは難しいです。

我慢するイメージだったり、

自分がやらなければならないことが増えるイメージだったり、

いろんなイメージが邪魔をして、人の話を聞けなくなってしまう。

そんなことは誰しも持っている課題です。

自覚があるのと無いのは大きな差ですが、基本的に人の話をそのまま聞くことは難しいです。

話を受け取りたくても気持ちよく受け取れない。

これは愛したくても愛せないということと同じです。

小さいときの子供は受け入れられても、大きくなったら受け入れられなくなる。

親であっても同じ。

会社の従業員でも、尊敬する人でも、好きな人でも同じです。

その現在地にあるのが私たち。

講義を通しながら、僕の中にもそれがあるなと感じました。

目の前の人がワクワクするような、大きな話をされていても、

そのワクワクとそのまま出会うよりは、

自分の頭の中には常に、それはできるかな?とか、

未来への現実化の不安があることを気づきました。

その背景には、僕の無力さを見ているから不安があるわけで、

そこには僕自身の原体験が関わってくるわけです。

だけど、その思考を生み出しているのは、

僕に刻まれた初期設定(言語エネルギーの因果アルゴリズム)。

その無力な「僕」というものは本物の僕ではないということがよくわかりました。

その瞬間に自分の中に生まれていた考えが消え、

シンプルに講師の先生のイメージに出会う心構えができていったと感じます。

頭の中の考えが静かになるとすごいですね。

世界がタスクで見えやすい僕にとっては、

全てのものごとに大きなワクワクの波が起こる予感がして画期的です。

学びの出発点は「お前の話なんか聞きたくない!」その現在地にあることを理解すること

私たちは経験するほど、世界に対するイメージは増え、自分の力に対する天井のような感覚とかが生まれてきます。

今回は、日を追うごとに自分がシンプルになり、

出会いにワクワクできる自分に変わっていくことを感じています。

先生はこう言います。

このセミナーは「学び」じゃないんだ。「出会い」なんだと。

蓄積じゃないんだ。余計なものが消えていき、ゼロ化していくことなんだよと。

固定観念が破壊される感覚ですが、目の前の方が伝えたいイメージと深く深く出会うこと。

それが学びの究極系だと感じます。

そのための学びの出発点は

「お前の話なんか聞きたくない!」その現在地に自らがあることを自覚すること。

そしてその現在地が作られた原因、犯人捜しすることで、

全てのものごとの学びが始まっていくと感じています。

そこから生まれてくる深い深い出会い。

自分を手放し、相手のイメージと深く出会うこと。

今日は新しい出会いのできる自分になるための大きな一歩となる1日でした。

本日もお読みいただきありがとうございました。

perspective496@gmail.com