分断する言語とつながりを認識する言語

分断する言語とつながりを認識する言語

私たちが取り扱う言語には重大な欠陥がある。

それはある存在に名前を付け

その存在が実在するように錯覚することにある。

主語と述語というワナ。

「スマートフォン」といったとき

私たちは端末を指してスマートフォンという。

だけど、スマートフォンが持続的に機能するためには

発電所からのたゆまない電力供給がなければ成り立たない。

スマホの設計、作成、販売会社、発電所、そこに関わる諸々の人。

それらすべてが一つのシステムのようにスマートフォンの端末っぽくあらわれている。

そうやってつながりを辿っていくと

切れるところはどこにもないのだけれど

私たちは「スマートフォン」が

あたかも分離してそこに存在しているように思ってしまう。

これは自分に対してもそう。

身体の範囲だけで自分と思ってしまうが

実は周囲の人間も、親も、社会も自然環境も、宇宙も

すべてが協力関係をしながら

今ここが成り立っている。

その事実を忘れて、体の範囲の自分の無力さを責めたり、

相手を責めたりすることは

言葉が見つからないけど、愚かとも言えるし

悲しいことだよね。

すべてのつながりを認識し

今ここをデザインする力を持つ人間に

バージョンアップしていくことが

これからの時代に必要なスキルだと感じている。

そのカギは言語のアップデート。