ドラッカーの定義する組織の完成に向けて

ドラッカーの定義する組織の完成に向けて

ドラッカーの著書である「経営者の条件」の第一章では

”外の世界への奉仕という組織にとって唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織は完成に近づく”

「経営者の条件」P・F・ドラッカー 著 上田惇生 訳 p32

という一文が書かれており

ドラッカーは大きすぎる組織の弊害について語っており、

僕の中で組織の1つの成功の軸として拡大の大事さがあると思っていたことが

逆にシンプルにミニマムになっていくことを完成に向かっていくと表現していたことが意外でした。

ドラッカーが組織の完成をシンプル化・ミニマム化していく方向に定義したのはなぜか?

では、このような問題が何故起こるのかを考えると

お互いの経験・立場・認識の違いにより

私たちは一分一秒も誰一人として同じ世界を見ていないという共通土台がゼロの状態にあり

構成員が増えるほど、シンプルにシナジーが起きるのではなく、

逆に問題や摩擦、軋轢が生まれてしまうジレンマを抱えているからと考えられます。

ドラッカーはこの観点の問題を見つめた時、

組織の存在意義が組織の外界に対して貢献することであると定義したときに

組織内部のための活動をより少なくしていくことを完成と定義したのではないでしょうか?

人が集まることや組織化することは大きな問題を解決していくために非常に重要です。

ですが1つの貢献を担当する組織の最小単位は小さくあるべきだと考えたのだと思います。

令和哲学者のノジェス氏は組織の基本単位として

観点を自由自在に扱える人材は5人で一つの生命体のように機能することを提唱しており

この5人組がどんどん連鎖していくことを集団知性体としてAIに変わるGIとして

集団知能の進化の重要性を語っています。

↑参考記事

細胞も単細胞が集まって1個の生命体のように機能していますが

生命の次なる進化の方向性として5つの観点が集まる5人組が1つの生命体のように機能していくことが

これまでの生命体の進化の歴史とも整合性が付き僕はとても好きです。

人が少ないとは我がなくなっていくこと

これらの気づきは先日参加したドラッカー読書会にて頂いた気づきではありましたが

ある参加者の方のシェアのなかで

「人が少なく、組織は小さく」というこの表現は組織の質の変化を表しているんじゃないか

というものがありました。

なるほど、そのように考えてみたときに

人が少ないというのは『我』がほどけていくことなのではないか?と感じました。

我が気持ちよくほどけたときに

「人はいるけど人はいない」そんな組織像になっていくと感じています。

反対に構成員それぞれが我に固定されてしまい自由になれないとき

お互いの疎通はうまく行かず組織の内外に問題が生まれるようになっています。

新戸部稲造の著書、武士道では侍たちは刀や精神性の探求の中で

いかに我から自由になり組織のポジションを全うできる

「義」や「忠義」という徳目を大事にしていたことを述べています。

私たちは「自分(我)」という幻想につかまれることで不安につかまり

自らが精神に立てた旗を降ろしてしまい情熱そのものになることができなくなってしまいます。

「自分」がいかに幻想であるかは以下の記事の中盤でも書かれていますが

能動的な心理的安全を実現するために我がほどけることと

武士道の定義する7つの徳目は重要であると考えています。

ドラッカーは日本に対してとても信頼とリスペクトがあったという逸話もあり

もしかすると日本式の組織モデルについて可能性を感じていたかもしれません。

武士道を通してドラッカーを読み解くというのも非常に面白いテーマですね。

僕個人として「日本だからこそ実現できる心理的安全あるチーム作り」をテーマにしており

ドラッカーの目指した組織の完成に向けて

武士道(日本)とドラッカー、nTechとが一直線に並んで行くことを感じています。

本日も御読み頂きありがとうございました。

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